日本という国
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127愛好家たちの間に「池坊立花」の名が広まった。 16世紀に入り、『池坊専せん応おう口く伝でん』を著した池坊専応や『池坊専せん栄えい伝でん書しょ』の池坊専栄が登場し、「『いけばな』は、単に花の美を観かん賞しょうするものではなく、自然の姿を映し、宇宙の理を示すもの」と理論付けた。 その後、16世紀中頃の天文年間に生まれた池坊専好は、豪華な作風で、織お田だ信のぶ長ながや豊とよ臣とみ秀ひで吉よしなど武家階級の支持を得て、16世紀後半には「池坊立花」は東北地方から九州まで広まった。 江戸中期の元禄年間には「池坊立花」は最盛期を迎えた。 その後は、他の流派が興り、「池坊」の地位はやや後退した。 しかし、長い歴史と伝統を持つ池坊は、最大の組織力を維持している。 ☆ 未生流みしょうりゅう 江戸時代末期の大阪で、未み生しょう斎さい一いっ甫ぽによって創設され、「華道」の大衆化に大きな役割を果たした。 未生流の特色は「幽寂な象徴的作風」と言われている。 理論的には難解だが、実際に「花を生ける」技法は、どんな場合でも「直角三角形の中に枝をおさめる」という簡単明快なもの。 未生流は、関西を中心に多くの門弟もんていを組織し、大きな流派の一つになった。 ☆ 小お原はら流 明治時代の末頃、小お原はら雲うん心しんによって創設された。 池坊の「立花」は重心が高く、不安定であると気づき、「重じゅう心しんが低い重量感のある華道」を主張し、自然主義を理念とする新しい流派を作った。 小原雲心は新しい花形による「盛り花」を創案し、当時、日本に入ってきた西洋の花も取り入れるなど、「生け花」に近代的な感覚を吹き込んだ。 ☆ 草そう月げつ流 昭和5年(1930年)に勅て使し河が原わら蒼そう風ふうが創設した。 花器や素材を自由に駆使くしして取り合わせることを主張。 現代の生活に密着した「華道」を求め、鉄、針金、ガラス、石せっ膏こうなどを用もちいて独自の「生け花」を作り上げた。 ◎ 花器と用具 ◎ [花器] どんな花器を使うかによって、花材も花形も決まる。 材質は、陶器、磁器、銅器、鉄器、銀器、自し然ぜん木ぼく、漆しっ器き、竹など。 形は、「壷」と「水盤」(浅い器)の二つ。

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