日本という国
143/235

139「スポーツ」三節=[一・「相撲すもう」] 「相撲」は、「土ど俵ひょう」と呼ばれる円形に固められた「土」の上で、2人が東と西に分かれ、体と体をぶつけ合って戦うスポーツ。素手で、腰に「まわし」と呼ばれる絹の細い布を締めるだけ。相手を土俵の外に出すか、相手の足の裏以外の体の一部(手足はもちろん髪の毛まで)を先に土俵の土に付けた方が勝ちになる。 ※ 国技 「相撲」は日本の国技だ。 プロの大相撲は日本独自の文化として発展した。 「礼に始まって、礼に終わる」と言われ、「礼節を重んじる」ことが最も重視される。上位の人を敬い、相手を尊重する。肉体的な強さだけでなく、精神的に充実した態度が求められ、その精神が日本人の国民性に合致する。 試合前の「仕し切きり」と、終わった後の「お辞儀」が大事な動作だ。 「相撲」を取る人を「力りき士し」と呼ぶ。体重の重い人も軽い人も同じ土俵で戦う。 小柄な人が鮮やかな技で大きな人を負かすのが相撲の醍だい醐ご味みの一つ。 ※ 歴史 神話時代に神様同士が力比べをして、「国くに譲ゆずり」という大きな問題を解決したという伝説が「相撲」の始まり。 そして、隣村同士の力自慢が戦い、その結果で豊作か凶作かを占う儀礼が行われたのが「相撲」の原型になっている。豊作になった時には、感謝の気持ちを込めて、改めて神前で「相撲」が奉納された。 7世紀には、天てん武む天皇の前まえで「相撲」の技を競う天てん覧らん相撲ずもうが行われ、「相撲」が国民の間に広まった。 昔の「相撲」は、突き合ったり、蹴けり合ったりするもので、時には生死を賭かけて戦った。16世紀の戦国・安土時代の武将・織田信長(1534年~1582年)は「相撲」好きで知られ、土俵を考案したとされる。 江戸時代(1603年~1868年)に入り、京都や大阪で盛んだった「相撲」の中心が江戸(現在の東京)に移った。江戸中期の元禄時代(1688年~1704年)に、お寺や神社の建こん立りゅうなどのために寄付を募る「勧進かんじん相撲ずもう」が行われた。 江戸後期に、横綱「谷たに風かぜ」や大関ぜき「雷らい電でん」などのスター力士が誕生し、「相撲」人気は高まった。 《大おお相撲ずもう》 プロの相撲を「大相撲」という。 日本相撲協会主催の「大相撲」が一年に6回、奇数月に行われる。

元のページ 

page 143

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です