日本という国
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159 [作者] 「紫式部」は、天てん禄ろく元年(970年)頃、学者「藤ふじ原わらの為ため時とき」の娘として生まれた。 20歳を過ぎて「藤原宣のぶ孝たか」と結婚、当時としては晩婚だった。 長ちょう保ほう3年(1001年)、結婚後、約3年で夫と死別し、その後、「彰しょう子し」に仕つかえた。 「彰子」(988年~1074年)は、一条天皇の時代に権勢をふるった「藤原道長みちなが」(966年~1027年)の娘で、後ご一いち条じょう、後ご朱す雀ざくの二人の天皇の母に当たる。 「宣のぶ孝たか」との間に生まれた娘「賢けん子し」は後ご冷れい泉せん天皇(在位1045年~1068年)の乳母めのととなり、大だい弐三にのさん位みと呼ばれた歌人でもあった。和歌は「百ひゃく人にん一いっ首しゅ」に選ばれている。 「紫式部」には、「紫式部日記」、和歌集「紫式部集」もある。 ~ [内容]~ 「桐壺きりつぼ」、「若わか紫むらさき」などの名が付いた長短54巻の物語は「三部」に分かれている。 第一部~「光源氏」の誕生から39歳まで。「桐壺きりつぼ」~「藤ふじの裏うら葉ば」の33巻 ~ 「桐壺の帝みかど」は「桐壺更こう衣い」を寵ちょう愛あいし、美しい皇み子こが誕生した。 しかし、間もなく母「更衣」は亡くなる。父「桐壷の帝」の考えによって皇こう籍せきを離れ、皇子は「源氏」という姓を賜たまわり、光り輝くように美しいことから「光源氏」と呼ばれた。 「光源氏」は帝の保護と、その美しさから世の注目の的となるが、父「桐壷の帝」が亡くなると政治的に失脚し、都を離れて、須磨、明あか石しに侘わび住まいをする。 しかし、やがて都に呼び戻され栄達の道を歩む。 「光源氏」の栄華を象徴する六条院と呼ばれる広大な邸宅が造られ、39歳で太だい上じょう天皇てんのう(位を譲り退位した天皇)に準ずる准じゅん太上天皇になる。 美貌と才能、資質によって人々の憧あこがれの的だった「光源氏」の数多い恋の遍歴が「第一部」の中心。 「光源氏」は、世間の目を気にしながらも障害の多い恋や身分違いの恋に夢中になる。 父「桐壺の帝」に寵愛される藤壺ふじつぼ(「光源氏」の継母ままはは)への反社会的な恋や、後に「光源氏」の最愛の妻となる「紫むらさきの上うえ」を、まだ少女のうちにさらうように引き取って育てるなど、世間の常識の枠から外れた激しい行動も展開される。 一時、不遇にはなるが、「光源氏」は「第一部」で、恋と栄華を二つながらに手中にする人物として描かれている。

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