日本という国
166/235

162 [二・万まん葉よう集しゅう] 「万葉集」は、今から約1200年前(奈良時代)に編纂された「日本で一番古い和歌集」だ。 「万葉集」の書名は、文字通り、歌の数が多いという意味。 約30年間の4,650余首という膨大な数の歌が20巻に収められている。 自然の移ろいと偉大さ、人の闘いと死、さまざまな恋、妻子への愛など、森羅万象を歌い上げている。 「かな」がまだなかったために、漢字だけで一いち字じ一いち音おん表ひょう記きの字を使う方法が考え出された。 山を「也や末ま」と書くなど、「万葉仮名がな」で書かれている。 作者は、天皇から庶民まで幅広いが、全体の約半数の作者は氏名不詳だ。 一般に万葉の時代は、7世紀前半の舒じょ明めい天皇から8世紀半ばの淳じゅん仁にん天皇までの約100年間。 「天皇を頂点とする中央集権国家」で、中国の法制にならった「律りつ令りょう国家」が形成される古代史の重要な時期。 旧勢力を排して革新を進めた「大化たいかの改新かいしん」(645年)、朝鮮半島に出兵して大敗した「白はく村そん江こうの戦たたかい」(663年)、皇位をめぐって争われた「壬申じんしんの乱らん」(672年)など、国内も国外も激しく揺れた動乱期だった。 7世紀後半、持じ統とう天皇の時に「律令国家」が確立し、国力は充実した。 聖しょう武む天皇(8世紀前半)の時、中国の盛せい唐とう(唐の第二期。713年~766年)の文化を積極的に取り入れ、華やかな天てん平ぴょう時代を迎えた。 奈良県の東大とうだい寺じや正しょう倉院そういんなどに、当時の芸術の粋を見ることができる。 「万葉集」は、作者によって四期に分けられる。 一期(西暦672年・「壬じん申しんの乱らん」まで)は、舒じょ明めい天皇、額ぬか田たの王おおきみなど。 二期(710年・平城へいじょう遷せん都とまで)は、持じ統とう天皇、柿かきの本もとの人ひと麻ま呂ろなど。 三期(733年・天てん平ぴょう5年まで)は、山やま部べの赤あか人ひと、山やまの上うえの憶おく良らなど。 四期は、大おお伴ともの家やか持もちなど。 「防人さきもり歌うた」(辺境を守る人やその家族が詠んだ歌)や「東あずま歌うた」(東とう国ごくの民衆の歌)や、そのほか作者不詳の歌の多くは二~四期に属する。それぞれが顕著な特色を保ちながら、和歌の歴史を形成している。上じょう代だいの日本人の精神史や、習俗、生活、または歴史の一端を見ることができ、「万葉集」は内容豊かな文学性と時代性を持ち合わせていることを物語っている。 編者は「大伴家持」を中心とする複数の人々、という説が有力だが、いくつかの段階に分けて編纂されており、統一性を欠いている。 和歌の形には、次のようなものがある。

元のページ 

page 166

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です