日本という国
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163① 日本の詩歌の主流を占めるのが「5・7・5・7・7」の31音・5句体たいの 「短歌」だ。「万葉集」には約4,200首ある。 ②「5・7」を反復して「7・7」で終わる6句以上で構成されるのが 「長歌」。「万葉集」には約260首ある。 ③「5・7・7」、「5・7・7」を反復するのが「旋せ頭どう歌か」。 「万葉集」には約60首ある。 ④ほかに、「短歌」の「5・7・5・7・7」に「7」を加えた「仏足ぶっそく石せき歌か」がある。 ≪多彩な「歌人」たち≫ 「万葉集」の歌人たちは、歴史を背景に多彩な歌を作った。 「持統天皇(女性)」は、奈良の香か具ぐ山やまに登って大和を眺めながら、国土を讃美し、繁栄をあらかじめ祝福する雄大な長歌を残した。 春過ぎて 夏来たるらし 白しろ妙たえの 衣ころも干したり 天あまの香具山 【春が過ぎて 夏が来たらしい 真っ白な衣が干してある あの天の香具山に】 =季節の推移を楽しみ、宗教的で厳粛な意味をも感じた奈良時代の人達の心が、明るく堂々と、格調高く歌われている。 この頃に活躍した「柿本人麻呂」は、「万葉集」を代表する歌人だ。 天皇の行ぎょう幸こうについて行った奈良県・吉野で、神話的発想に基づく天皇讃歌を作った。また、皇子や皇女の旅など、さらに薨去こうきょ(皇族の死)に際しても長歌を献上するなど、朝廷を歌の場として、優れた才能を発揮し、渾身の力で歌い上げる歌風を樹立した。このため、宮廷歌人と呼ばれる。 去年こぞ見てし 秋の月夜は 照らせども 相あい見みし妹いもは いや年とし 離さかる 【去年の秋に見た月は、今も明るく照らしているけれど、この月を一緒に見た私の妻は、離れて遠くへ逝ってしまった】。 同じ系統の歌人に、「笠かさの金村かねむら」、「車くるま持もち千せん年ねん」、「山部赤人やまべのあかひと」がいる。 「山部赤人」は「柿本人麻呂」とは違った儀礼的な歌の中に自然を繊細な感覚でとらえて詠み込む叙景という新しい分野を切り開いた。 「柿本人麻呂」以前の万葉歌人に「額ぬか田たの王おおきみ」がいる。 「額田王」は、天てん智ぢ天皇てんのう、天てん武む天皇兄弟から愛された女流歌人。 天皇に代わって次の歌を作った。 熟にき田津たつに 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな 【熟田津で 船出しようとして 月の出を待っていると 潮も幸い満ちてきた さあ漕ぎ出そうよ】 (熟田津=現在の愛え媛ひめ県けん道どう後ご温泉付近にあった船着場)

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