日本という国
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165 [三・「枕まくらの草そう子し」] 「枕草子」は、平安時代の和漢(日本と中国)の学識深い才女「清せい少しょう納な言ごん」の随筆集だ。 女性的な鋭い観察と写実による才気あふれる筆致による枕草子は、同じ女性の「紫むらさき式しき部ぶ」による「源げん氏じ物もの語がたり」とともに、平安文学の双璧だ。 作者=清少納言 「清少納言」は、康保年間の966年頃に生まれ、万まん寿じゅ年間の1026年頃、60歳前後で亡くなった。 「清きよ原はらの元もと輔すけ」の娘だが、本名は不詳。「清原元輔」は、村上天皇(在位、946年~967年)の命令で後ご撰せん和歌集を編集し、漢字だけで表記した「万葉集」の歌に「読み」を付けた歌人だ。 また、「清原元輔」の祖父「清原深ふか養父やぶ」は古こ今きん和歌集の歌人。 「清少納言」は正暦しょうりゃく4年(993年)の冬に、一条天皇の中ちゅう宮ぐう(皇后こうごう)「定てい子し」(976年~1000年)に女房(女性の召使)として仕えた。 「枕草子」は、天皇の妃きさきとしての幸福な生活から悲運の皇后として寂しい境遇に陥った「定子」の存在なしには考えられない。 宮廷での女房の呼び名は、父「清原元輔」が「少しょう納な言ごん」という官職だったことから、「清せい」と「少納言」を合わせて「清少納言」と呼ばれた。 教養のある「定子」と意気投合し、「定子」の寵愛を受けた。 「定子」に対する絶対的な献身と賛美、そして、主従の美しい心の交流が「枕草子」を生む素地となった。 「清少納言」の兄の内大臣「伊これ周ちか」から草子(紙を綴とじたもの)を献上された「定子」が、「何を書こうかしら」と「清少納言」に尋ねたところ、「枕にこそは、はべらめ(枕でございましょうね)」と答えたので、「清少納言」に草子が与えられた。 草子に書き綴ったのが「枕草子」だ。 しかし、「枕」が具体的に何を示しているか、はっきり分からない。 「枕草子」の言葉の意味は、「手元に記録して、身近に置いて離さない備忘録のようなもの」、「題だい詞し(書物の巻頭などに書く言葉)を集めたもの」、などだ。 「清少納言」は、「定子」の死後、間もなくして宮中を退いたが、その後は不明。晩年は剃てい髪はつ出しゅっ家けして、寂しい生活を送ったらしい。「清少納言」には和歌集がある。 時代背景 「清少納言」が仕えた「定てい子し」の父「藤原ふじわらの道みち隆たか」は、天皇を補佐する最高の職である関白として「中なかの関白」と呼ばれ権勢を誇った。 「定子」は正しょう暦りゃく元年(990年)、15歳の時に11歳の一条天皇に入内じゅだい(天皇の住む皇居に入る)。兄「伊これ周ちか」、弟「隆家たかいえ」も若くして要職についた。

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