日本という国
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183諧の心構えなどをまとめた俳諧論書) 「芭蕉」は、自分の俳諧を「夏か炉ろ冬とう扇せん」にたとえ戯画化したが、「芭蕉」の理念について、弟子の「服はっ部とり土ど芳ほう」は「万代ばんだい不ふ易えき・一時の流行」と説明した。 「不易流行・一時の流行」は、永遠性と新風は根本において一つだ。共に「風雅の誠」という意味で、「芭蕉」の俳諧用語となっている。 「貞てい門もん風ふう」から「蕉風」への変化は、「新しみは俳諧の花」という「新化を希求」した結果だった。 「虚みなし栗ぐり」を脱却して「蕉風」への展開を示した「冬の日」へ。 「森もり川かわ許きょ六りく」が「俳諧の古今集也」と称賛した「蕉風」の到達点である「猿さる蓑みの」へ。 さらに 梅が香かに のつと日の出る 山やま路じかな で名高い「かるみ」の風調を表した最晩年の「炭すみ俵だわら」への変化も、「新化への希求」の所産だった。 和歌・連歌の伝統を継承しながら、徒いたずらにそれを墨ぼく守しゅするのではなく、常に「誠をせめ・こらす」姿勢を持ち、新化を志した「松尾芭蕉」だからこそ、その作品が普遍性を有し、現代に生き続けるのだ。 【俳句の基礎知識】◇ 世界の最短詩 「俳句」は、森しん羅ら万ばん象しょうを「5・7・5の17音」で綴る世界で最も短い詩だ。 日本人は万葉の昔から「文章や手紙の最後に、思いを託した和歌(短歌)を添える」習慣があった。この歌を中心に編集されたのが「万葉集」や「古今和歌集」、「新古今和歌集」などだ。 そして、室町時代(1392年~1573年)になって、複数の人が「短歌」の「上かみの句(5・7・5)」と「下しもの句(7・7)」を互いに詠み続ける「連れん歌が」が生まれた。 例えば、 「雪ながら 山もとかすむ 夕べかな(宗そう祇ぎ)→行く水遠く 梅にほう里(肖しょう柏はく)→川風に 一むら柳 春見えて(宗むね長なが)→ 舟さす音も しろきあけがた(宗祇)…」というのが連歌だ。 江戸時代になると、この「連歌」の初しょ句くの「5・7・5」が独立し、「俳諧(俳句)」として発展した。その俳祖が「松尾芭蕉」で、「与謝蕪村」や「小林一茶」らが出現する。 そして、「俳句」は上層の人々が詠む「短歌」と異なり、庶民の娯楽として流行した。 明治時代に入ると「正岡まさおか子規しき」、さらに大正、昭和になると「高浜たかはま虚きょ子し」らによって一層庶民の間に流行した。

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