日本という国
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015二・【「政治」の流れ】 「自民党」の一党支配=「55年体制」戦後の日本の高度成長を支えたのは自由民主党(自民党)だった。 1955年(昭和30年)に、保守合同で「自民党」が、左さ右ゆう両りょう派は社しゃ会かい党とうの統とう一いつで「日本社会党」(社会党)が、それぞれ誕生した。 「自民党」は国会で過半数を獲得し続けたが、「社会党」が伸び悩む一方、その後、「民みん社しゃ党とう」、「公明党」、「共きょう産さん党とう」が力を得た。しかし、野党勢力が分散したため、「自民党」の「一党支配体制」が40年近く続いた。「自民党」が誕生した1955年にちなんで、これを「55年体制」という。 「自民党」は、産業界の要望を政策に反映する一方、産業界から豊富な政治資金を吸い上げた。「自民党」と財界ざいかいの間で政策の立案・執しっ行こうに当たったのが官僚だった。政界、官界、財界の「政せい・官かん・財ざい(政・官・業とも)」による“鉄てつの三さん角かっ形けい”が形成され、「自民党」政権を支えた。 また、農村部に強い地盤を持つ「自民党」は、高度経済成長の成果を開発の遅れた地方に配分した。地方の道路、鉄道、橋などの公共事業に力を入れ、所得格差がそれほど広がらない形で経済成長を遂げた。 しかし、1980年代に「政・官・財」の癒ゆ着ちゃくがさまざまな腐ふ敗はいを生んだ。 「リクルート事件」(情報誌発行会社「リクルート」の関連会社の店てん頭とう株かぶが、公開に先立って、多くの「政・官・財」の関係者に安値で譲渡された事件)は、その典型だった。 1991年に「バブル経済」が崩壊すると、日本経済は不況のトンネルに入り、政治の混迷が深まった。 「政党」と「政権」の変遷 日本の「政党」と「政権」の移り変わりは目まぐるしい。 1960年1月に、「日本社会党」から「民主社会党」(後に「民社党」)が分裂し、1964年11月には「公明党」が誕生し、1976年6月には「自民党」から「新自由クラブ」が分かれた。 政党の流動化が進み、1992年5月、熊くま本もと県けん知ち事じだった細ほそ川かわ護もり煕ひろ氏しが「日本新党」を結成、新党ブームに火を付けた。1993年6月、「自民党」は選挙制度改革に関する推進派と消極派が対立、小お沢ざわ一いち郎ろう氏ら44人と若手が当時の「宮みや沢ざわ喜き一いち政権」への不満から離党が相次ぎ、「新しん生せい党とう」と「新党さきがけ」が結成された。 「自民党」が初めて分裂、過半数を割ったのはこの時だ。 「自民党」は1993年7月に行われた衆議院議員選挙(衆院選)でも過半数を獲得できず、「自民党」と「社会党」の二大政党が議席を減らし、新党が躍進した。「55年体制」が崩壊し、非自民8党派の連立による「細川内閣」が発足した。

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