日本という国
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186 わたしはなりたい 《注・デクノボー=役に立たない人》 <原文はカタカナと旧字体。ひらがなの現代仮名遣いと当用漢字で表記> 2011年3月29日に行われた岩手県大おお槌つち町ちょうの小学校の卒業式で、校長が「雨ニモマケズ」を朗読。「困難な今こそ、賢治の詩を胸に強い気持ちを持ってほしい」と子供たちを激励した。 卒業生の女子は「賢治はつらい状況を乗り越えた人。今の私の状況と、賢治の『雨ニモマケズ』は合っていると思う。大変だけど頑張りたい」と話した。 宮沢賢治記念館(岩手県花はな巻まき市し)の牛うし崎ざき敏とし哉や・副館長は「詩には、賢治自身が体感していた悲しみや苦しみが集約されている。心の支えや癒いやしとして、賢治の詩が人々の心に根付いていたのでしょう」と話している。 「宮沢賢治」は詩人、童話作家であると同時に、農業研究家、農村指導者だった。 明治29年(1896年)、現在の岩手県花巻市に生まれた。農民に対する深い愛情を持ち続け、昭和8年(1933年)、38歳で亡くなった。「土の詩人」と呼ばれる。 作品はほかに、「小こ岩いわ井い農のう場じょう」、「はるかな作業」などの詩や、「銀ぎん河が鉄てつ道どうの夜」、「風の又また三さぶ郎ろう」、「注文の多い料理店」などの童話・短編小説がある。 「宮沢賢治」は、盛岡高等農林学校で農芸化学を専攻し、農学校の教諭となる。 中学時代に短歌を始め、やがて詩や童話に移る。 生前に刊行されたのは、詩集「春はると修しゅ羅ら」と「注文の多い料理店」だけ。 「宮沢賢治」は擬音語(擬声語)・擬態語を最も多く用いた詩人と言われる。 「どしどしどしどし燃えています」、「キンキン光る」、「ふくふくしてあたたか」、「うるうるうるうると飛び」、「もにゃもにゃっと言って」など。 「宮沢賢治」は愛する故郷「岩手県」を、ドリームランドとしての「イーハトーブ」と名付けた。賢治の心象(心の中の世界)として描かれ、「すべてが可能になり、自然と人間が共生する世界」と捉えた。 「宮沢賢治」に対する評価は年々高まっている。 「賢治」生誕百年の2006年(平成18年)8月には、岩手県花巻市で「宮沢賢治生誕110年記念国際研究大会が開かれた。「世界の中のイーハトーブ」、「賢治さんの想像力ときたら、大したもんだ!」、「宮沢賢治-驚異の想像力・その源泉と多様性」などをテーマに、日本、フランス、アメリカ、中国、韓国、ロシア、インド、ポーランド、ポルトガルなど9カ国の研究者約20人が、記念講演、シンポジウム、研究発表を、日本語で行った。

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