日本という国
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016「細川内閣」は1994年1月、衆院選の制度を中選挙区制から小選挙区・比ひ例れい代だい表ひょう並へい立りつ制せいに改める選挙制度の改革を実現したが、税制改革をめぐる連立内の亀き裂れつと、細川首相の政治献金疑惑で同年4月、政権を投げ出した。 1994年に「自民党」は「社会党」、「新党さきがけ」と連立を組んで「自社さ連立政権」を発足させ、政権に復帰し、首相に「日本社会党」の村むら山やま富とみ市いち氏が就任した。 これを受けて、非自民・非共産党の「新生党」、「公明党」、「民社党」、「日本新党」、「民みん主しゅ改かい革かく連れん合ごう」などが1994年12月に「新進しんしん党」を結成した。しかし、その後、「公明党」出身者が離脱し、「新進党」は1997年12月に解党し、「太たい陽よう党」(後の民みん政せい党)、「自由党」、「新党平へい和わ」、「新党友ゆう愛あい」、「改革クラブ」など6党に割れた。「公明党」はその後、単独政党に戻った。弱体化したかつての野党第一党「日本社会党」は1996年1月に「社しゃ会かい民みん主しゅ党(社民党)」に党名を変更した。 1998年4月、旧「新進党」の大半が合流して新たに「民主党」が誕生した。 「民主党」は、その後の参議院議員選挙(参院選)で躍進、2003年9月に「自由党」(小沢一郎党とう首しゅ)を吸収して大おお所じょ帯たいになり、2003年の衆院選、2004年の参院選でも勢力を拡大し、野党第一党になった。 一方、有権者は“政治離れ”の傾向を強め、支持政党を持たない「無党派層」が有権者の半数を占め、選挙結果を左右するようになった。2010年の参院選で、徹底した行政改革や国会議員の定数削減を掲げた「みんなの党」が11議席を獲得し、注目を浴びた。 「民主党」は、2007年7月の参院選で参院第一党に躍進し、2009年の政権交代の基盤を作つくった。 一方、2012年の衆院選で、大おお阪さか府ふ知ち事じだった橋はし下もと徹とおる氏が中心になってつくった「日に本ほん維い新しんの会かい」が54議席を獲得したが、2014年5月に一部が「次じ世せ代だいの党」をつくって分わかれた。 「みんなの党」は議席を18議席に増やしたが、2013年12月に、「みんなの党」の一部が「結ゆいの党」を結成して分裂した。 小沢氏らのグループは、さらに、「日本未み来らいの党」を立ち上げたが、その後、消滅した。さらに、「日本維新の会」と「結いの党」が合流して、「維新の党」に名称を変更。 「民主党」は、2012年の総選挙で惨ざん敗ぱいした後、元もと経けい済ざい産さん業ぎょう相しょう・海かい江え田だ万ばん里り氏を代表に選んだが、代表は2015年1月に岡おか田だ克かつ也や氏に代わった。 そして、2016年3月、「民主党」と「維新の党」が合流して「民みん進しん党とう」が結成された。衆議院と参議院の両院で156人の勢力。代表には岡田克也氏が就任したが、参院選の結果などを受けて、岡田代表が辞任し、2016年9月、女性の蓮れん舫ほう氏(48)が新しい民進党代表に選ばれた。 野党の「おおさか維新の会」は2016年8月、「日本維新の会」の名称に戻った。 日本の政党は離り合ごう集しゅう散さんを繰り返し、「政党が浮かんでは消え、また生まれる」という状況が続いている。野党の力が弱まり、「自民党」が多数を占める“一いっ強きょう多た弱じゃく”の政治が続いている。 「共産党」は他党に比べると、独自の路線を歩んでいる。

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