日本という国
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201わ「和」の精神四節= 法ほう隆りゅう寺じ(奈良)を建こん立りゅうした「聖しょう徳とく太たい子し」(574年~622年)が604年に制定した「十七条憲法」の冒頭に、「和を以って貴とうとしとなし、逆さからわないことを尊とうとぶべし」とある。 聖徳太子の「和」の哲学は、文字通り、「心を和やわらげ、仲良く、力を合わせる」こと。具体的には、「仏教を敬うやまい、国家の中心である天皇に服従する」ことを政治の基本とし、「広く人間全体の平等と成じょう仏ぶつを説とく教え」だった。 飛鳥あすか時代(6世紀末~7世紀前半)以来、「和」の観念は日本人の特徴的な精神となった。 日本では、外来の文化を土ど着ちゃくの文化に適合させる形で受け入れた。 6世紀に大陸から伝来した「仏教」も、日本人が古くから信仰していた「神しん道とう」と共存する形で取り込んだ。日本人は包ほう容よう性せいを備えていた。聖徳太子の仏教解釈によれば、「人間は本来、聖人せいじんもいなければ、極めて愚おろかな人もいない。すべて仏ほとけの子である」。 仏教は、「和の精神」と相通じるものだった。 「和」を尊重する日本人にとって、「人間は自然に屈服すべきもの」ではなく、「人間と自然は調和を保つべきもの」だった。 日本の建築物や庭園も、自然の素材を生かしてきた。 日本人は、自分の意見を公表し行動を決める時、相手にどう思われるか、他人はどう考えるかを気にして、「相手に配慮をする」場合が多い。 外国人にしばしば「曖あい昧まいだ」と批判される日本人の言動は、「和の精神」につながっているのだ。 他人との摩ま擦さつをできるだけ避けようとする意識が日本人の意識の根幹にある。 日本人は長い歴史の中で、序列社会・タテ社会を生き、「集団志向」を強め、「和」を重んじる精神を形成してきた。

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