日本という国
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203これは、日本の総人口(約1億2,711万人)の1.5倍に当たり、一人が複数の「宗教」を信仰していることになる。つまり、「無宗教」的な要素も持ち合わせていることになる。 【神しん道とう】 5~6世紀の古墳時代に人々の心をとらえたのは、日本固有の「神」の信仰だった。その「神」は宇宙の至るところに存在すると考え、人々は山、川、岩、樹じゅ木もくなどを信仰の対象にした。やがて人里ひとざと近くに、自然や祖先を崇拝すうはいする神を祀まつる建物として神社が作られた。 日本人は奈良時代に編集された「古こ事じ記き」や「日に本ほん書しょ紀き」に書かれている神話・伝説に基づいて、「神」を敬い、祖先を尊ぶために祭さい祀しを行ってきた。 日本最古の歴史書「古事記」に次の記述がある。 「草や木がそれぞれに言葉をしゃべり、国土のそこここで、岩や石や草の葉が互いに語り合い、夜は鬼おに火びのようなあやしい火が燃え、昼は群むらがる昆虫の羽は音おとのように至る所でにぎやかな声がした」。 大昔、人は大自然に驚かされ、心を緩ゆるめることが出来なかった。そこで、自然の中で「神」の動きを注意深く見守り、「神」の怒りを招かないように行動した。供そなえ物ものを捧ささげて「神」のご機嫌を伺ったりした。原始的な「神道」は農耕儀式と結びつき、神々の保護がなければ稲の収穫も期待できないと考えた。 奈良時代、大和やまと民族は同じ祖先から出た多くの家族の集まりである氏し族ぞくで構成されていた。氏族の中で最も有力だった天皇氏族を中心として氏族国家が形成され、国家統一へ進んだ。 「神道」は家、村、郷土という共同体の中で功労のあった人を祀まつる習慣があり、徐々に「神」的なものと、「人間」的なものが交じり合った。特定の教きょう祖そは存在せず、特別な経きょう典てんもない。神々の数が多く、「八や百お万よろずの神」と言われる多た神しん教きょうの色彩が濃かった。 古代の「神」を祀まつる伊い勢せ神じん宮ぐうや出雲いずも大たい社しゃ、住すみ吉よし大社などが「国の神」を祀る「国家神」の神社として人々の崇敬を集めた。 明治維新(1868年)以後、政府は「神道」を国の「宗教」とするため、「神の信仰」と「仏ぶっ教きょう信仰」を調和させる「神しん仏ぶつ習しゅう合ごう」を廃止し、「国こっ家か神しん道とう」を国民に押し付けた。各地の「神道」を皇室神道の下に一体化し、国家宗教として再編成した。 天皇の祖先の同一血統のつながりが「天皇制」の形をとって日本民族連帯の中心となり、万ばん世せい一いっ系けいの思想に発展した。 しかし、日本が第二次世界大戦で敗北した後、GHQ(連合国軍総司令部)の指令により、軍国主義・国家主義と結びついて天皇を現あら人ひと神がみ(人の姿になってこの世に現れた「神」)とし、天皇制による支配を正当化する思想的支柱だった「国家神道」は解体され、国と「神道」は分離された。

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