日本という国
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204【仏ぶっ教きょう】 「仏教」は6世紀の飛鳥あすか時代に日本に伝来した。 当時は、新しい文化の一環として取り入れられ、「信仰より学問や教育」という要素が強かった。 奈良時代(8世紀)に入ると、「仏教」は国家権力と結合して発展し、国を護るために地方に寺を建こん立りゅうする国こく分ぶん寺じ計画が地方へ伝播した。しかし、僧侶の活動は一般に寺院の中に限られ、民間への布教はあまり強くなかった。 平安時代(794年から約400年間)の初期に、「最さい澄ちょう」が「天てん台だい宗しゅう」を、「空海くうかい」が「真しん言ごん宗」をそれぞれ開いた。いずれも「宗教」が国家に従属することを否定し、自らが開祖そとなって仏教の新しい宗派を作った。 平安中期になると、「仏教」は普段の生活に溶け込んで、庶民に親しまれた。 鎌倉時代(1185年から約150年間)には、鎌かま倉くら六ろく宗しゅうといわれる「浄じょう土ど宗しゅう」、「浄じょう土ど真しん宗しゅう」、「時じ宗しゅう」、「臨りん済ざい宗しゅう」、「曹そう洞とう宗しゅう」、「日にち蓮れん宗しゅう」が開かれた。 それぞれが、「易行(いぎょう)」などの共通理念を持っていた。 「易行」とは「他力の念仏」で、「人々が救われるためには、厳しい修しゅ行ぎょうは必要ない。経きょう典てんの中から一つの教えを選んで、もっぱらそれにすがればいい」と説いた。祈祷や学問が中心だった「仏教」は人々の心の内面に深く入り、「利り他た救きゅう済さいの立場」から「人間全体の平等と成じょう仏ぶつ」に力点を置いた。 江戸時代(1603年~1867年)の「仏教」は幕府の権力下にあった。 庶民が檀だん徒と(寺の信者)であることを寺に証明させる寺てら請うけ制度によって、ほとんどの人々が「仏教」と関わった。 一方で、「神道」は日常の信仰として生き続けた。「神の信仰」と「仏教信仰」を調和させる「神仏習合」の時代はあったものの、「神道」と「仏教」は一体化することなく、違いを守りながら共存してきた。 明治維新の直後に、「神道」を国教(国の宗教)とするため「神しん仏ぶつ分ぶん離り令れい」が出された。 明治時代(1868年~1912年)の初期には、「仏教を廃はいし、仏教の開祖である『釈しゃく尊そん』の教えを棄すてる」ことを命じた「廃はい仏ぶつ毀き釈しゃく」が行なわれ、多くの寺院、仏像、経きょう文もんなどが破壊され、仏教界は一時、大きな打撃を受けた。 【キリスト教】 室町むろまち時代の天文てんぶん18年(1549年)、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿か児ご島しまに上陸して「キリスト教」を各地に広めた。 しかし、安あ土づち桃もも山やま時代(1573年~1598年)に豊臣とよとみ秀ひで吉よしが「キリスト教」の宣教師を追放。江戸時代には徳川幕府が慶けい長ちょう12年(1612年)に「キリスト教」の信仰を禁ずる「禁教令」を出してキリシタン信者を国外追放するなど、「キリスト教」は激しい弾圧を受けた。 江戸時代初期の17世紀初めに75万人に上ったキリスト教徒の多くは「禁教令」によ

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