日本という国
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018 2013年7月に行われた参院選、2014年12月の衆院選で、いずれも「自民党」が勝利した。2016年7月の参院選でも、「自公」が改選議席数(121議席)の過半数(61議席以上)を超える70議席を獲得した。「民進党」や「共産党」など野党4党は、選挙区の中で32ある一いち人にん区くで統一候補を立てたが、「自民党」候補を破やぶったのは「11」の選挙区だけだった。 この結果、「自民党」と「公明党」による「自公連立政権」の継続が決まり、安倍内閣の安定度がさらに増した。 5年ぶりの再登板となった安倍首相は、第2次安倍内閣を「危機突破内閣」と名付け、「デフレ脱却きゃく」による「経済再生」を最優先課題に掲げ、全閣僚(18人)に「経済再生・東日本大震災からの復興・危機管理の三つに全力で取り組むよう」指示した。《「デフレ(デフレーション)」とは、物価の下落、失業者の増大や企業の倒産などによる不況をいう》。 安倍首相は、首相経験者の麻生太郎氏を副総理・財ざい務む相しょう・金融相にして、財政と金融の両面から「デフレ脱却と円高対策」を担当させた。 このほか、総務相に「地方分権改革」、環境相に「原子力防災」、沖おき縄なわ・北ほっ方ぽう担たん当とう相しょうに「海かい洋よう・領りょう土ど」、経済産業相に「社会保障・税の一体改革」、国こっ家か公こう安あん委い員いん長ちょうに「国こく土ど強きょう靭じん化か、防災」、少しょう子し化か・消しょう費ひ者しゃ担当相に「男だん女じょ共きょう同どう参さん画かく」などを兼務させた。 2014年9月の内閣改造で、「安あん保ぽ法ほう制せい」、「地方創そう生せい」、「女性活躍」の担当大臣を新設した。さらに、2016年8月の内閣改造では「働はたらき方かた改かい革かく担当相」(兼務)を設けた 「連立政権」(連立内閣)とは? 「連立政権」(連立内閣)は、第一党の所属議員が過半数に満たない時、 ① 第一党が他党に協力を求める。 ② 第二党以下のいくつかの政党が協力して内閣を作る。 の二つのケースがある。 日本の政治は1992年頃から流動期に入り、一時期(第二次橋本はしもと内閣と小お渕ぶち内閣の前半)を除いて、「自民党」と「公明党」の連立政権(自公政権)など、自民党と他党の連立政権が続いた。 日本の政治は、1955年(昭和30年)に「民主党」と「自由党」の保守合同で結成された「自由民主党」(自民党)が、外交や経済面で日米安保体制による対米協調路線を推進することで長期保守政権を維持、「自民党」の一党支配が続いた。 しかし、1993年(平成5年)7月の衆院選で「自民党」が過半数を割り、翌8月に、「日本新党」代表・細川護煕氏を首班とする8党派による「非自民、非共産」の「連立政権」が成立し、「連立の時代」に入った。 2005年9月の衆院選では、「自民党」が大勝し、「自公」の与党が三分の二を占めた。支持基盤が弱体化した「自民党」を、創そう価か学がっ会かいを支持母ぼ体たいとする「公明党」が補う「自民・公明の連立政権」が2009年の麻生内閣まで続いた。

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