日本という国
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0211956年(昭和31年)の通産省(当時)の「経済白書」(副題・日本経済の成長と近代化)が、「太平洋戦争後の日本が復興を成なし遂とげた」として《もはや「戦後」ではない》と記述、流行語になった。 産業界では技術革新が進み、国際競争力が強まり、貿易自由化によって貿易収支は黒字となった。 輸出拡大で「日本経済」が急成長し、1968年には、アメリカに次ぐ世界第2位の「経済大国」に成長した。 ※ 安定した「日本的労使関係」 敗戦の年の1945年12月、日本政府はアメリカ占せん領りょう軍ぐんの命令で労働組合法を公こう布ふした。これにより、「一つの企業に一つの組合」という「企業別組合」が続々と結成された。 労働者は企業への帰き属ぞく意い識しきをさらに高めたが、組合も無条件で経営者に協力したわけではない。協力の代だい償しょうを確保した。不況になってもアメリカ企業のように安易にレイオフ(一いち時じ解かい雇こ)はせず、よほどのことがなければ人員整理は行われなかった。 給料や地位は「年功序列」で年々上がり、定年まで「終身雇用」が約束され、種々の手当てや手厚い福利・厚生施設など、従業員は会社から賃金以上の恩恵を受けた。そして、退職金をもらい、退職後の再就職先を世話してくれた。 日本的な「企業別組合」の成立は、戦後のアメリカ占領軍による経済の民主化の影響も大きかった。戦争に協力したという理由で、財閥ざいばつなどが追放処分を受け、経営者の立場は、「財閥などの大株主から経営を委い任にんされる」戦前の状態から、「従業員の中から代表者を選ぶ」形に変わった。経営者は大株主の利益より、従業員の利益を重視するようになり、日本の労使関係は安定していった。 「第二次世界大戦」の敗北で壊かい滅めつした「日本経済」が立ち直った大きな要因の一つは、起き業ぎょう家か精せい神しんを持った多くの経営者が現れ、工場労働者や販売・購買・事務の従業員が、会社のために献けん身しん的てきに働いたことだ。日本では、決められたことを忠実に守って、一生懸命働くのが美び徳とくとされ、「日本的労使関係」が築かれた。 ※「日本型経営」と「一億総中流社会」 日本の良好な労使関係を支えた「年功序列」と「終身雇用」は、経済の体質を強化し、経済を豊かにした。日本の企業は、従業員を大切にする「日本型経営」を武ぶ器きに、日本を「経済大国」に育て上げ、多くの日本人が次第に貧乏人とは思わなくなった。 極端な貧富の差がないことが日本社会の特徴になった。 だが、戦後の「日本経済」が一いっ直ちょく線せんに発展し続けたわけではない。何回も危機に襲われた。しかし、企業は耐えて、従業員をクビにしなかった。労働組合は、従業員が解雇されないことに感謝して、大幅な賃上げ要求を自制するケースもあった。 1973年、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)の石油供給制限をきっかけに、原油価格が暴騰する「石油危機」(オイルショック)が起こった。日本は先進国の中で中東石油への依存

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