日本という国
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033 ※ 明治時代の教育 明治政府は、富ふ国こく強きょう兵へいの一環いっかんとして国民教育の普及、発展に努めた。 1872年(明治5年)に、6歳以上の男女が就学する「義務教育制度」が成立した。最初は4年間だった義務教育の尋じん常じょう小学校は1907年(明治40年)に6年間に延長され、明治末まっ期きには小学校は2万5千校を数え、児童の就しゅう学がく率りつは98%を超え、日本の初等教育は世界的水準に達した。 高等教育(大学や高等専門学校)では、江戸幕府直ちょっ轄かつの教育機関・昌しょう平へい坂ざか学がく問もん所じょが1869年(明治2年)に大学校に改められ、1877年には東京大学に、後に東京帝てい国こく大学となった。その後ご、明治年間に大阪(大阪市)、京都(京都市)、東北(仙台市)、九州 (福岡市)などの帝国大学が設立され、民間の私立大学も造られた。 教育政策は次第に国家主義重視の方向へと変わった。 1890年には「教育勅ちょく語ご」(天皇制教育推進の思想)が発はっ布ぷされ、「忠ちゅう君くん愛あい国こく」が教育の目標となった。 ※ 教育の今 1947年(昭和22年)に、GHQ(連合国総司令部)の日本民主化の一環として教育基本法が制定され、日本の新しい教育がスタートを切った。 教育基本法は、教育の目的を「教育は人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、、、」と定めた。これを受けて、「小学校6年、中学校3年」の9年間の義務教育と、その後の、「高等学校3年、大学4年」を加えた「6・3・3・4制」が確立した。 「小学校」就学前の教育は「幼稚園」と「保育所」で行われ、約90%の子どもが就学前の教育を受けている。 「小学校」及び「中学校」の義務教育の就学率はほぼ100%。 文部科学省は、いろいろな課題に対処するため、小学校6年と中学校3年の9年間の「小中一いっ貫かん校こう」の制度化を進めている。すでに、全国で1,130校の「小中一貫校」が設置されているが、これをさらに推進し、9年間の学年の区切りを自由に設定できる「小中一貫教育学校」と、別々の小学校と中学校が統一したカリキュラムで学ぶ「小中一貫型小・中学校」の制度化を図る。 中学卒業者の98%が「高校」などへ進学し、高校卒業者の53.6%が「大学・短期大学」などへ進学している。大学卒業者の13.8%が大学院へ進み。大学(学部、大学院)・短期大学の学生総数は約301万人。女子は年々増えて約133万人で、全体の約44%を占めている。

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