日本という国
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068「歴史」に三章「原始」と「古代」一節=さんしょう◇「縄じょう文もん時代」と「弥生やよい時代」◇ 平成23年(2011年)11月、沖縄県石いし垣がき島じまの洞穴どうけつから出土した人骨じんこつの一部が、2万4千年前のものと確認された。 日本人の原型は、三大人じん種しゅ区分の一つ、モンゴロイドと呼ばれる類るいモンゴル人種群だ。黄おう褐かっ色しょくの皮ひ膚ふと黒こっ褐かっ色しょくの髪かみが特徴だ。その後、紀元前3世紀以降に渡来した新モンゴロイドとの混血を繰り返して、現在の日本人が形成された。 日本列島は今から約1万年前、海面の上昇で大陸から切り離されて島国になった。人々は土器を使うようになっていた。土器の多くが縄なわを巻きつけて作られたため、縄目の模様がついたことから縄じょう文もん土ど器きと呼ばれるようになった。 紀元前3世紀頃までの約8千年間を「縄文時代」という。 それ以前は旧石器時代だ。人は、狩猟、漁、植物の採取で生活し、竪たて穴あな式しき住居で定住生活を始めた。 今も「縄文時代」の貝かい塚づか(古代人が食べた貝の殻の層)が数多く残っている。 紀元前3世紀から紀元3世紀頃までの約600年間が「弥生時代」。 大陸や朝鮮半島から人々が移り住み、九州北部に稲作や、鉄や青銅せいどうなどの金属器が伝わった。20戸~30戸の集落が現れ、新しい生活と文化が始まった。しかし、農耕社会の成立によって、人々の間に貧富の差が生じるようになり、支配者が出現した。 その頃の飾りの少ない素焼すやきの土器が明治17年(1884年)に東京都文ぶん京きょう区く弥生やよいの遺跡から発見された。 そのため、「土器」と「時代」に、「弥生」の名前が付いた。 ◇「邪や馬ま台たい国こく」◇ やがて、各地に大きな集落が生まれ、それぞれが小国として形成された。 中ちゅう国ごくの歴れき史し書しょ「漢かん書じょ」には、「倭わ人じん(当時の中国では、日本人のことを倭人と呼んでいた)の社会は百ひゃく余よ国こくに分かれていた」と書かかれている。 西暦57年に、現在の福岡市付近にあった「奴なの国くに」の王者の使者が後ご漢かんの都、洛陽らくように赴いたと言われる。その時、光こう武ぶ帝ていから授かったと考えられる「金きん印いん」が福岡市志し賀かの島しまで発見された。金印には「漢かんの倭わの奴なの国王こくおう」と記されている。 中国は220年に後漢が滅び、魏ぎ・呉ご・蜀しょくの三国時代を迎えた。

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