日本という国
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069この時代に書かれた歴史書「三さん国ごく志し」の「魏ぎ志し倭わ人じん伝でん」には、『「倭わ国こく」(日本)では2世紀の終わり頃、30ほどの小国が争いを続けていた』とある。 最も強大だった「邪馬台国」が諸国の争乱を収めた。共同の王として支配したのが女王「卑ひ弥み呼こ」だ。239年に、その卑弥呼が魏の皇帝に送った使者は「親しん魏ぎ倭わ王おう」の称号と「100枚の銅鏡」を贈られた。 「邪馬台国」の所在地について、近きん畿き地方の大和(今の奈良なら県けん)とする「畿き内ない(近畿)説」と、九州北部とする「九州説」の二つに分かれ、論争が続いている。 キーワードが、「三角さんかく縁ぶち神しん獣じゅう鏡きょう」だ。三角縁神獣鏡とは、直径20㌢~30㌢の大型の銅で作られた鏡。神と不思議な獣けものの文もん様ようを持ち、縁ふちの断面が三角形をしている。平成10年(1998年)1月、三角縁神獣鏡が奈良県天てん理り市しの黒くろ塚づか古こ墳ふんから32枚発見され、論争に一石いっせきを投じた。 三さん角かく縁ぶち神しん獣じゅう鏡きょう 「畿内説」の根拠は、「卑弥呼が魏の皇帝からもらった銅鏡は三角縁神獣鏡」という考えから、「邪馬台国が近畿にあった」という主張や。古墳時代の始まりである箸はし墓はか古こ墳ふん(奈良県桜さくら井い市し)が「卑弥呼」の死亡時期と重なる240年~260年に築造された、という研究などだ。 一方、「九州説」は、「卑弥呼がもらった銅鏡は、三角縁神獣鏡とは別のものだから、三角縁神獣鏡が畿内説を裏付けることにはならない」という。 三角縁神獣鏡はこれまで、京都府、大阪府などの近畿を中心に九州から東北地方にかけて、約500枚が出土した。 また、「卑弥呼がもらった銅鏡は100枚だけ。それ以上の三角縁神獣鏡は日本で製造されたもの」という「九州説」に対して、「畿内説」は「当時、貴重だった銅を使って何百枚もの鏡を作るのは、邪馬台国以外に考えられない」という。 なお、中国では、三角縁神獣鏡はまだ1枚も発見されていない。 2009年には、奈良県桜井市の纏まき向むく遺い跡せきで3世紀前半の大型建物跡が見つかり、「卑弥呼の宮きゅう殿でんではないか」と話題になった。

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