日本という国
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071現存げんそんする世界最古の木造建築物である法ほう隆りゅう寺じ(斑鳩いかるが寺でら)は607年、「聖徳太子」によって創建された。 ◇「大たい化かの改かい新しん」と「大たい宝ほう律りつ令りょう」◇ 中国では618年に隋が滅び、唐が興おこった。日本では、「聖徳太子」の死後、豪族たちの争いが一層激しくなり、強力な国家を建設しようとする動きが強まった。 645年に、中臣なかとみの鎌かま子こ(古代の氏族。後の藤原ふじわらの鎌足かまたり)や中なかの大兄おおえの皇おう子じ(後の天てん智じ天皇)は、「土地は国家の所有とする」、「戸籍を作り、一定の土地を授ける班田収授法はんでんしゅうじゅのほうを定める」、「地方の行政区画を定める」など、中央集権国家のあり方を示した。この年、初めて元号を採用し、「大化」とした。孝こう徳とく天皇の下で、天皇中心の政治体制を目指した一連の改革を「大化の改新」という。 文もん武む天皇の701年(大たい宝ほう元がん年ねん)に、班田収授法などを盛り込んだ政治と行政の新しい仕組みを定めた「大宝たいほう律りつ令りょう」という法律が制定され、国家の形を整ととのえた。律令の「律」は現在の刑法、「令」は行政法、民法、商法に当たる。 708年(和わ同どう元年)に、日本で最初の流通貨幣である「和わ同どう開かい珎ちん」が鋳ちゅう造ぞう・発行された。直径24㍉前後の円形で、中央に一辺が約7㍉の正方形の穴が開いている。表面に、時計回りに「和同開珎」と書かれている。銀ぎん銭せんが発行された後、銅どう銭の鋳造が始まった。 和わ同どう開かい珎ちん なお、「日本」を名乗るようになったのは、「大宝律令」(701年)からと言われている。しかし、2011年に、中国・西安せいあんで見つかった678年作の墓誌(故人の事績を刻きざんで墓に収めた石板せきばん)に「日本」という文字があることが明らかにされた。これが確認されれば、670年代に「倭わ国こく」から「日本」に代かわったことになる。 ◇「奈な良ら時代」◇ 8世紀に入ると、「遣けん唐とう使し」によって「唐」の進んだ文化がもたらされ、710年に朝廷は「唐」の都、長ちょう安あん(現在の西せい安あん)にならって、大規模な都を築いた。都を、藤原ふじわら京きょう(現在の奈良県橿かし原はら市付近)から平へい城じょう京きょう(現在の奈良市から大和やまと郡こおり山やま市周辺)に移した。 784年までが「奈良時代」。

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