日本という国
77/235

073◇「国こく風ふう文化」◇ 10世紀になると、新しい日本風の文化が興った。 豊かな経済力を持つ上流貴族と僧侶たちによって、唐風の文化を日本人の生活に合わせるように工く夫ふうされ、「唐から様ようから和わ様ようへの転換」を特色とする「国風文化」が生まれた。 奈な良ら時代から使われた「万葉まんようがな」をもとにして、「かな文字」が作られ、11世紀には「漢字」と「かな」で書き表す日本独特の文章が生まれ、漢文学とともに、和歌、随筆、物語、日記などが発達した。 紀貫之きのつらゆきらによって、最初の勅ちょく撰せん和歌集(天皇の命令で選ばれた和歌を編へん纂さん)である「古こ今きん和歌集」が編集された。 「かな文学」は主に女性によって書かれ、11世紀初めには、紫むらさき式しき部ぶの長編小説『源げん氏じ物もの語がたり』や清せい少しょう納な言ごんの随筆『枕まくらの草そう子し』などのすぐれた作品が生まれた。 紀きの貫つら之ゆきの「土と佐さ日にっ記き」は女性が書いたようにまとめた最初さいしょの「かな文字」日記だ。 ◇「源げん氏じ」と「平へい氏し」◇ 10世紀の中頃になると、朝廷の力が衰え始め、各地で、豪族を中心に武力を持った集団が勢力を強めた。その中で強力だったのが源氏(源の姓を有する氏族の総称)と平氏(平たいらの姓を有する氏族の総称)だった。 平たいらの将門まさかどが下総しもうふさ(今の千葉県北部と茨城県の一部)を拠点に関東の大半を征服した。 一方、源みなもとの満仲みつなかが摂せっ津つ(今の大阪府と兵庫県の一部)に土ど着ちゃくしていたが、その子、頼より信のぶが千葉県南部の房ぼう総そう半島に広がった乱を鎮圧ちんあつし、源氏の東とう国ごく進出のきっかけをつくった。 11世紀中頃、藤ふじ原わら氏との関係が薄い天皇が位くらいにつくと、天皇に政治の実権を取り戻そうとする動きが強まった。後ご三さん条じょう天皇の後を継いだ白しら河かわ天皇(在位=1072年~1086年)は、1086年に幼い堀ほり河かわ天皇に譲じょう位いしたが、自ら上じょう皇こう(天皇の位を譲った後の呼び名)として、政治の実権を握って、力を発揮した。上皇による政治が100年余続いた。 12世紀の中頃になると、源氏と平氏は、皇室や藤原氏の争いに加わり、京都で勝った平たいらの清きよ盛もりが武士として初めて政治の実権を握り、勢力を飛躍的に伸ばした。

元のページ 

page 77

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です