日本という国
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075 文学では、西さい行ぎょうの和歌集「山さん家か集しゅう」、藤原ふじわらの定てい家からが編集した「新しん古こ今きん和歌集」、鴨かもの長ちょう明めいの随筆「方ほう丈じょう記き」、軍記物「平へい家け物もの語がたり」(作者不詳)、吉よし田だ兼好けんこうの随筆「徒つれ然づれ草ぐさ」などが生まれた。 彫刻では、東とう大だい寺じ南なん大だい門もんの金こん剛ごう力りき士し像ぞう(仏ぶっ師し・運うん慶けいと快かい慶けいの作)など、写実的で力強い作品が作られた。陶器が「元」や「宋」から伝わった。 ◇「南なん北ぼく朝ちょう時代」◇ 鎌倉幕府の力が徐々に衰おとろえ始めると、幕府の有力な御ご家け人にん(武ぶ将しょう)だった足あし利かが尊たか氏うじ(1305年~1358年)が幕府に背そむくなど、権力争いは複雑な様よう相そうを見せた。そして、武将・新にっ田た義よし貞さだが鎌倉幕府の権力を握っていた北ほう条じょう高たか時ときらを滅ぼし、1333年(元弘げんこう3年)鎌倉幕府は幕を閉じた。 この時、後ご醍だい醐ご天皇(在位=1318年~1339年)は京都に帰り、院政いんせいを排して、天皇自らが政治を行う天皇親政しんせいを始めた。これを建けん武むの新政しんせいという。 これに不満を持った足利尊氏は兵を挙げ、京都を制圧した。さらに、光こう明みょう天皇を擁立して、1338年には自ら征せい夷い大たい将しょう軍ぐんになり「室むろ町まち幕ばく府ふ」を開いた。これが「北ほく朝ちょう」である。 一方、京都を逃れた後醍醐天皇は吉よし野の(奈良県南部)の山中に立てこもり、正統の皇位を主張した。これを「南なん朝ちょう」という。 南朝と北朝の争いは約60年間続いたが、「足利尊氏」の孫「足あし利かが義よし満みつ」が将軍になる頃には次第に収まった。この時代が「南北朝時代」だ。 中国では、1368年に朱しゅ元げん璋しょう(洪こう武ぶ帝てい)が「元」の支配を抑え、漢民族の王朝である「明みん」(1368年~1644年)を建国した。 朝鮮半島では、李り成せい桂けいが1392年に高麗こうらいを倒し、李り氏し朝ちょう鮮せん(「李り朝ちょう」。1392年~1910年)を建てた。 ◇「室むろ町まち時代」◇ 「足あし利かが尊たか氏うじ」の孫である第3代将軍「足あし利かが義よし満みつ」が南北朝の内乱を収め、1392年(明徳めいとく3年)に室町幕府を築いた。 第15代将軍「足利義よし昭あき」が武将「織お田だ信のぶ長なが」と不和になり、京都を追われるまでの約180年間が室町時代だ。 「義満」が京都・室町の邸宅で政治を行ったことから、「室町幕府」と呼ばれる。 「室町時代」の後半になると、将軍の力が弱くなり、後あと継つぎをめぐる争いをきっかけに、1467年(応おう仁にん元年)、「応仁の乱」が起こり、実力のある者が上の者に取って代わる「下げ剋こく上じょう」の世の中になった。 広い領地を持つ各地の大名(殿との様さま)が、それぞれ国をつくってその支配者になる戦国せんごく時代が約100年続いた。 沖縄おきなわ(沖縄県)では、1429年(永えい享きょう元年)、尚しょう巴は志しが「琉りゅう球きゅう王おう国こく」を築いた。 室町時代の文化は、貴族の文化と庶民の文化、大陸文化と伝統文化など、文化の融合が

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