日本という国
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083日本は、大陸侵略の一歩を踏み出した。 だが、遼東半島を日本に割譲したことに反発した「ロシア」は、「フランス」、「ドイツ」を誘い、遼東半島を「清国」に返還するよう日本に要求した。これを「三さん国ごく干かん渉しょう」という。 対抗する力がないと判断した日本は要求を受け入れ、返還に応じた。しかし、「ロシア」への敵意を増大させ、欧米諸国に対抗できる軍事力を備える動きを強めた。 そして、「韓国かんこく」(朝鮮は1897年に国号を大だい韓かん帝てい国こく「韓国」と改めた)や「満まん州しゅう」(中国の東北部ぶ)の支配権をめぐって、日本は「ロシア」と激しく対立、1904年(明治37年)に「日にち露ろ戦せん争そう」が始まった。 翌年、ロシアの根拠地だった旅りょ順じゅんや奉ほう天てん(現在の中国・瀋しん陽よう)を占領して勝利した日本は、韓国に対する支配権や南みなみ満まん州しゅう鉄道(満鉄)の経営権などを獲得した。 日本は、「日清戦争」と「日露戦争」の勝利後、大陸侵略の拡大に奔走ほんそうした。 1910年(明治43年)には韓国併合へいごうを行い、朝鮮総そう督とく府ふを置いた。 この前年に、首相を務めた「伊い藤とう博ひろ文ぶみ」が中国・ハルビン駅頭えきとうで韓国の独立運動家・安あん重じゅう根こんに暗殺された。 《注・1945年8月に、朝鮮半島南部が「大韓民国(韓国)」となった》 ◇「第だい一いち次じ世せ界かい大たい戦せん」◇ 「日露戦争」後、ヨーロッパでは帝国主義国の対立が深まった。 1914年(大正2年)、バルカン半島から始まった戦火は、ドイツ、オーストリア、イタリアの「同盟国」と、イギリス、フランス、ロシアの「連合国」との戦争に拡大した。全ヨーロッパを巻き込んだ史上空前の「第一次世界大戦」となった。 日本は、日英同盟を理由に「連合国」側に加わり、東アジアにおける諸権利を強化し、その地位を確保しようとした。 1915年(大正4年)、日本政府は「中国(清朝)」の袁世凱えんせいがい政府に対し、「山さん東とう省しょうのドイツ利権の継承」など「二十一ヶ条の要求」を突き付け、大部分を承認させた。 この戦争をきっかけに日本経済は慢性的不況を脱し、好景気を迎えた。 ①日本が戦場にならなかった。②戦争で手いっぱいの西欧列強に代わって中国市場を独占した、③全世界に日本商品を売り込んだ、などが要因だった。 しかし、大戦景気は長続きしなかった。米価などの物価が高騰こうとうし、都市労働者や婦人が米こめ屋やなどを襲撃する「米こめ騒そう動どう」が自然発生的に広がった。 内閣批判が高まり、1918年(大正7年)、首相は立憲政友会の総裁「原はら敬たかし」になった。「原敬」は華族でも藩閥出身でもない、国民に選ばれた衆議院議員の平へい民みん宰さい相しょうとして歓迎された。 第一次世界大戦は1918年(大正7年)、日本も加わった「イギリス」、「フランス」、「ロシア」の「連合国」側の勝利に終わったが、1千万人近い死者と数千万人の負傷者を出した。翌年、パリで講和会議が開かれ、ヴェルサイユ条約が調印され、「ドイツ」はすべての植民地を失い、日本は中国にあった「ドイツ」の権益けんえきを継承した。 国際平和と民族自決の機運が高まり、1920年(大正9年)、国際平和維持機関として「国

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