日本という国
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084際連盟」が設立され、日本は常任理事国になった。 この間、世界的な民主主義の風潮を受け、1916年(大正5年)に「吉よし野の作さく造ぞう」が民本主義《「主権は国民のためのもの」という考え方》を提唱し、国民の間に政治の民主化を求める声が高まった。1925年(大正14年)に普通選挙法が成立し、満25歳以上の男子に衆議院議員の選挙権が与えられた。 こうした民主化の動きを「大たい正しょうデモクラシー」という。 ◇「満まん州しゅう事じ変へん(九・一八事変)」と「日にっ中ちゅう戦争」◇ 第一次世界大戦の終結によってヨーロッパ諸国の復興が進み、ヨーロッパの商品がアジア市場に再び出回るようになると、日本は不景気になった。 一方、満まん州しゅうや、植しょく民みん地ちの台たい湾わん、朝ちょう鮮せんで抗日運動が激しくなった。 これに対し、国内では一部の軍人などが「満州は日本の生命線である」と主張、国民生活の行いき詰づまりを、中国侵略で打開しようとする動きが強まった。 1931年(昭和6年)、日本軍(関かん東とう軍ぐん)は、満州で南満州鉄道爆ばく破は事件を起こし、これを中国軍の仕業として軍事行動を開始した。「満州事変」(九・一八事変)である。 翌年、日本軍は「満州国」をつくり、日本政府もこれを認めた。これを契機に、政党政治打倒を目指す軍部や国家主義革命勢力が急速に台頭たいとうした。 日本は1933年(昭和8年)、「国際連盟」を脱退し、国際的に孤立していった。 日本軍は1937年(昭和12年)、北ぺ京きん郊外で中国軍と「盧ろ溝こう橋きょう事じ件けん」を起こし、日本が中国を侵略する「日中戦争」が始まった。12月には、日本軍は南なん京きんを占領し、「南京大だい虐ぎゃく殺さつ事件」を起こした。日本軍は残ざん虐ぎゃくな手段で、非戦闘員の婦ふ女じょ子しを含む30万人前後の中国人を殺害した。 1938年(昭和13年)には国家総動員法が制定され、経済も国民生活も政府の統制下に入った。日本は石油などの資源を求めるため、東アジアのほぼ全域を勢力圏とする「大だい東とう亜あ共きょう栄えい圏けん」を目指したが、アメリカ、イギリスなど列強による対日経済封鎖を招いた。 ◇「第だい二に次じ世界大戦」◇ ヨーロッパでは、「ドイツ」と「イタリア」が手を結び、「イギリス」、「フランス」「、ソ連」などの「連れん合ごう国こく」と戦争を始めていた。1939年(昭和14年)9月に、「ドイツ」が「ポーランド」に侵入、「イギリス」、「フランス」が「ドイツ」に宣戦布告し、「第二次世界大戦」が勃発ぼっぱつした。 日本は、「ドイツ」、「イタリア」と「日にち独どく伊い三さん国ごく同どう盟めい」を結び、一方、「連合国」に「アメリカ」が加わった。第二次世界大戦は、「日・独・伊」と米・英・仏・ソ連などの「連合国」との世界的規模の大戦争に発展した。 「アメリカ」は日本の対外侵略を阻止するため経済制裁を加えた。 日本はこれに危機感を募らせ、軍部は戦争に打って出た。 「東とう条じょう英ひで機き」内閣ないかくは1941年(昭和16年)12月8日、アメリカ・ハワイのパールハーバ

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