日本という国
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085ー(真しん珠じゅ湾わん)を奇襲攻撃し、「アメリカ」、「イギリス」に宣戦を布告した。 日本は「日中戦争」と並へい行こうして「太平洋戦争」に突入、戦時態勢を一段と強化した。 1943年(昭和18年)、大学・高等専門学校の文科系学生を陸海軍に召集する「学がく徒と出しゅつ陣じん」が行われた。翌年には「学徒勤きん労ろう令れい」が公布され、中等学校以上の学生・生徒を働かせる「学がく徒と動どう員いん」が実施された。未婚の女子を女子挺てい身しん隊たいとして軍需工場等に配置した。この時期、数十万人の朝鮮人や占領下の中国人を日本に連行して、鉱山などで働かせた。さらに、日本軍は「朝鮮半島」、「中国」、「フィリピン」などの女性を戦地へ連行し、軍の慰い安あん所しょで強制的に働かせた。強制連行や「従じゅう軍ぐん慰い安あん婦ふ問題」は日本の歴史に大きな汚点を残した。 1943年(昭和18年)、アメリカ大統領・ルーズベルト、イギリス首相・チャーチル、中国国民党政府主席・蒋しょう介かい石せきがエジプトのカイロで会談、「日本に対する徹底的攻撃」を決めると同時に、「第一次世界大戦後に日本の委い任にん統とう治ち領りょうとなっていた南洋諸島の奪還」、「満州、台湾、澎ほう湖こ諸しょ島とうの中国帰属」、「朝鮮の独立」などの「カイロ宣言」を行なった。 「連合国」側の反攻が激しさを増し、戦局は次第に日本に不利となった。 「日独伊三国同盟」の「イタリア」がまず降伏し、「ドイツ」も1945年(昭和20年)5月に無条件降伏し、日本は孤立した。7月には、「アメリカ」、「イギリス」、「ソ連」の三国首脳が「ドイツ」ベルリン郊外のポツダムで会談、「日本軍隊の無条件降伏」と「日本の戦後処理方針」について勧告する「ポツダム宣言」を、「アメリカ」、「イギリス」、「中国」の三国の名で発表した。 日本の敗戦は誰の目にも明らかだったが、日本は最後まで戦いをやめなかった。 1945年8月、アメリカ軍は日本との戦争を終結させるために、広島市と長崎市に世界最初の原げん子し爆ばく弾だんを投下した。被爆後5年間に、広島で20万人、長崎で14万人以上の市民が死亡した。 8月8日には、「ソ連」も日本に宣戦し、日本は8月14日、「ポツダム宣言」を受諾した。 翌8月15日、昭和天皇はラジオで戦争の終結を国民に告げ、4年にわたった「太平洋戦争」は終了、6年間の「第二次世界大戦」も終わった。この大戦は死者4千万人以上、負傷者1億人以上に上る大きな惨害さんがいをもたらした。 この年、アメリカ・サンフランシスコで開かれた「連合国」側によるサンフランシスコ会議で国際連合憲章が定められ、10月に51カ国が参加して「国際連合(国連)」が設立された。 ◇「日に本ほん国こく憲けん法ぽう」と国際社会への復帰 ◇ 敗戦で日本は軍部による政治支配が終わった。 アメリカのマッカーサー元げん帥すいを最高司令官とする「連合国軍総司令部(GHQ)」の占せん領りょう政策によって、日本の民主化が始まった。 1945年(昭和20年)12月以降、労働組合の結成、婦人参政権を認めた選挙法の制定、財閥解体、「6・3・3・4」の新しい学制(小学校6年・中学校3年・高等学校3年・大学4年)の発足、農地改革などの民主化が進められた。

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