日本という国
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086 日本の民主化に最も重要な意味を持つのが、1946年(昭和21年)11月3日に公布され、翌年の5月3日に施行された「日本国憲法」だ。 日本国憲法は戦前の「大日本帝国憲法」と根本的に異なり、「主権在民、基本的人権の尊重、戦争放棄」が三原則だ。さらに、天皇は「日本国民統合の象徴」として政治的中立の地位になり、衆議院と参議院の二院制の国会が「国権の最高機関」と定められた。 1952年(昭和27年)、7年間続いた連合国軍による日本占領は幕を閉じた。 1956年(昭和31年)に、日本の「国際連合(国連)」への加盟が認められ、国際社会への復帰を果たした。 ◇「日にち米べい同どう盟めい」が基き軸じく ◇ 日本は1951年(昭和26年)10月、「アメリカ」のサンフランシスコで開かれた講和会議で、「アメリカ」を中心とする48カ国と「サンフランシスコ平和条約」を結んだ。 1951年の「サンフランシスコ平和条約」調印と同じ日、日本は「アメリカ」との間で「日米安全保障条約(日米安あん保ぽ条約)」を結び、日本国内へのアメリカ軍の駐ちゅう留りゅうを認めた。さらに1960年(昭和35年)に、 日本の防衛力強化や日米経済協力の推進などを内容とする「新日米安保条約」に改定した。学生を中心に、条約改定に反対する激しい「安保闘争」が展開されたが、6月に批ひ准じゅんされた。 第二次世界大戦後の世界は、超大国である資本主義・自由主義陣営の盟めい主しゅ・「アメリカ」と、共産主義・社会主義陣営の盟主・「ソ連」の対立、いわゆる「東西とうざい冷戦れいせん」が1991年(平成3年)まで続いた。そうした中で、日本は一貫して「日米同盟」を基軸とし、「日米協調路線」による外交・安全保障の道を歩あゆんでいる。 ◇「日本」と「アジア」◇ 1950年の朝ちょう鮮せん戦争で、「米国」と「中国」(中華人民共和国)の関係が悪化し、日本は1952年に「台たい湾わん」を選択し、日にっ華か平和条約を締結した。 日本では、「台湾」に好意的な親しん台たい派はの力が強く、「東西冷戦」下で、「中国」に対して嫌けん悪おや不信感を抱く日本国民が少なくなかった。 しかし、自民党の田た中なか角かく栄えい氏が1972年7月に首相に就任すると同時に、自じ筆ひつの「親書」を密ひそかに毛もう沢たく東とう主しゅ席せき(当時)に届けるなど、国交回復へ向けた行動を起こした。その年の9月、周しゅう恩おん来らい総そう理りの招待で田中首相が訪中、歴史的な日中首脳会談が実現し、9月29日、両首脳が「日中共同声明」に調印した。日本はそれまで国交のあった「台湾」に断交を通告。1978年(昭和53年)8月に、「日中平和友好条約」が調印された。 アジアでは、1965年(昭和40年)に「韓かん国こく」と「日韓基本条約」を調印するなど、アジアの隣国りんごくとの友好増進に努めている。 一方、大国たいこく「ロシア(ロシア連れん邦ぽう)」との間では、北ほっ海かい道どうの東に位置する「北方ほっぽう四島よんとう」(歯はぼ舞まい諸島しょとう、色しこ丹たん島とう、国後くなしり島とう、択捉えとろふ島とう)の帰属問題が解決していないため、「日ロ平和条約」は2016年時点で、まだ締結されていない。

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