中国の大学から届いた学生と先生の声

第六回・中国の大学生、院生『日本語作文コンクール』1998年 応募総数・933編テーマ=「日中友好を深めるには、どうすれば良いか」

日本語を勉強しなかったら、一生、日本を恨んで・・

李錦成(遼寧師範大学・大連市)

 私の日本に対する考えは、日本人の先生、中国の日本語の先生、それから多くの知らない日本人のおかげで変わったのである。私の祖父も日本軍に殺されたので、もし日本語を勉強しなかったら、もし、日中友好のためにこんなに力を捧げている人たちがいなかったら、私は一生、日本を恨んで、日本を正しく理解できなかったかもしれない。日中友好を深めるため、日本と中国の国民に客観的で、正確な情報を紹介すべきである。両国は悪い面をできるだけ避けて、いい面を見ることも大事だ。正確な宣伝と教育が一番大事だと思う。

平和を築く一つのレンガになって・・・

王 釩(北京外国語大学・北京市)

 私が幼い頃おじいちゃんとおばあちゃんはよく、日中戦争の話をしてくれた。自分に直接関係ない話のためか、その時の私は無関心の顔をしていた。中学生になった時、私は初めて南京大虐殺記念館を見学し、当時の出来事に大きな衝撃を受けた。「昔の中国と日本の間には、こんな悲しい出来事があったのか」と初めて認識できた。記念館の中には、亡くなった人々の遺骨や、記念写真や、資料が沢山納められ、建物の周りには、虐殺を象徴するレリーフが刻まれていた。それを見た私は心がひどく痛んだ。「私は絶対に日本人を許さない!」と心の中でつぶやいていた。
 しかし、だんだん大きくなるにつれて、一人の中国人として、私は50年前にあったあの戦争について、いつの間に考えさせられていた。私たちの周りに、戦争で傷ついた人々が沢山存在している。過去の歴史に向う時、どんな態度を取ったらいいのか?過去のことばかり考えて恨めしく一生を過ごすか、それとも、過去を振り返らず進んでいくのか。しかし、私は「いくつかの暗い昔の出来事を忘れることなく、今後の師とする。歴史を振り返りながら、前向きに進んでいく。そのために、私たちは何かをしなければならない」と強く感じた。
 一人一人の中国人と日本人は、レンガのようなもので、みんなが協力してうまく積み重なっていけば、平和というものが築き上げられるだろう。私もその一つのレンガとなって、平和を祈り続けたいと思う。

人間対人間の交わり

李文余(哈尓濱工業大学・黒龍江省哈尓濱市)

 私はロシアとの国境に近い黒龍江省北部の町、海倫市の出身である。中日戦争中は関東軍の駐屯地の一つだった。町の人たちは多かれ少なかれ日本人に怨念を持っている。私の祖父の弟も日本軍に殺された。子供の頃、祖母によく戦争の時のことや殺された祖父の弟のことについて聞いた。「日本人はどうしてそんなことをしたのだろう」と私は話を聞きながらよく思った
 「文余!過去の怨念は過去のものだ。いつまでもそれにこだわっていたら、憎し みがいつまでも続いて、また戦争になるかもしれない。戦争で被害を受けるのはいつも国民だ。本当の平和条約を実現するためには、政府はもちろん、私たちにもするべきことがあるのじゃないか。まずするべきなのは、相手を許すことだよ。いつまでも恨みに思うべきではないよ」と、祖母は私の困惑した顔を見て話した。
 私は大学に入る時、日本語専攻を選んだ。私は平凡な学生だ。政府が国対国の付  き合いをする時、いろいろ難しいことがあると思うけれど、私たち市民は人間対人間の交わりができるはずだ。「世々代々友好的に付き合っていこう」という気持ちで、中日両国民がはっきりした目標を持って、永遠に戦争を終わらせ、二十一世紀に目を向けて努力すること、それが私たち若者の責任だと思う。